いずもいわいじんじゃ
埼玉県入間市宮寺1853
第12代・景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐に当たられた時、当地においでになり、天稲日命、天夷鳥命を祭祀して、出雲伊波比神社と崇敬せられた社で、今からおよそ2000年も前に建てられた神社です。 醍..
第12代・景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐に当たられた時、当地においでになり、天稲日命、天夷鳥命を祭祀して、出雲伊波比神社と崇敬せられた社で、今からおよそ2000年も前に建てられた神社です。 醍醐天皇の延喜5年(905)に編纂された延喜式第九巻・神名帳に入間五座の筆頭として記された式内社です。社名の「祝」の文字は、小田原城主・北条氏康公からの朱印状、弘治3年(1557)に賜り、それ以前は現存する大宝2年(702)の棟札をはじめすべて「伊波比」が使用されています。宮寺郷十八ケ村(現在の所沢市から東京都瑞穂町に至る)の総鎮守として、また江戸時代には、徳川家康公を始め、代々の将軍より十石の社領を賜り当時から隆盛な社でありました。 なお、出雲大社とは所縁が深く、社紋も同じ亀甲剣花菱であり、いずれも結びの神、生産の神として信仰の厚いものがあります。当社の森を「寄木の森」と称しますが、出雲国の杵築湾に漂う古木を以て造られたのが寄木の造営(出雲大社)であり、天穂日命の子孫が東国に下ったときに樹種を携えてきて蒔種したのが当社の森「寄木の森」であります。明治初年には、出雲大社大宮司・千家尊福氏も参拝され、大きな額を奉納されています。
天穗日命、天夷鳥命、兄多毛比命
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