みょうせんじ
千葉県東金市家之子1384
当山は華蔵山妙宣寺と称し日蓮宗なり。 後醍醐天皇皇子護良親王のご息女華蔵姫の開基にして建武二年父親王鎌倉に弑せらるるや姫は北面の武士数名に守られ難を上総に避け家の子に来り此の地に御所を構え落飾隠棲..
当山は華蔵山妙宣寺と称し日蓮宗なり。 後醍醐天皇皇子護良親王のご息女華蔵姫の開基にして建武二年父親王鎌倉に弑せらるるや姫は北面の武士数名に守られ難を上総に避け家の子に来り此の地に御所を構え落飾隠棲してひたすら父宮の冥福を祈らる 時康永二年なりこの館を宮家の子御所と呼び尓来平田方村を「家の子村」と改称す 姫正平十二年遂に此の地逝去せられ円教大姉と諡し館跡東方山頂に姫塚として其の墓所現存す 以来御所は九代の尼僧に依て継承せらるるも第三世永海大姉は茂原藻原寺派遣の東光院日顕上人の教化により御所地を上人に献し日顕上人開山となりて一字を創立 姫の菩提のため華蔵山妙宣寺と号す 尓来法燈継ぐこと四十四世六百有余年に及べり 現存御所館跡は本堂裏山に在り本丸・二丸・空濠の後を歴然と残し九代の尼僧の墓地は西方谷山現存、「おはな道」「鎌倉坂」「城下谷」「御所下」等々地名にその名残をとどむ 又当山の仁王尊は華蔵姫の遭難除けの守護神として勧請され霊験あらたかにして古来善男善女の信仰をあつめて今日に及べり
平成十四年八月 当山四十四世祥宏院勝義日等記之 (境内・華蔵山妙宣寺略縁起より)
護良親王の娘、華蔵姫がこの地に難を逃れ、落飾隠棲し弑された父宮の菩提を弔った館を姫逝去後に華蔵山海岸寺とした。 三世・永海大姉の際、日顕上人に御所地を献上し、華蔵山妙宣寺が建立。 十世・貞円大姉寂後に両寺が合併した。
華藏山
日蓮宗
1343年(康永2年)
華蔵姫(圓教大姉)
応永24年(1417年)
日顕
家之子仁王尊
千葉東金道路 東金ICより約15分
4月-9月 8:30-16:30 10月-3月 8:30-16:00