かんのんじ
富山県小矢部市観音町1‐9
本覚山観音寺は、白鳳七年法道上人の開基にして、もと越中国利波郡糸岡郷五社村にあり、宝幢院本覚山観音寺と号す。七堂伽藍林立し、盛んに仏法を弘通せしが、弘仁の頃、弘法大師北陸御巡化の砌り一夜止宿し給いし..
本覚山観音寺は、白鳳七年法道上人の開基にして、もと越中国利波郡糸岡郷五社村にあり、宝幢院本覚山観音寺と号す。七堂伽藍林立し、盛んに仏法を弘通せしが、弘仁の頃、弘法大師北陸御巡化の砌り一夜止宿し給いしに、不思議なるかな金色の光明を放ち「我れは西方極楽浄土の教主阿弥陀如来なり、末世衆生済度の為に観世音菩薩の身を現ず、願くば汝観世音の像を彫んで永く六道輪廻の衆生を化益すべし」とありありとお告げありて、五色の雲に乗じて西方に去り給う。夢さめて後、大師実に仏の大悲深重なることを仰ぎ聖観世音菩薩の像を造り、安置し給う。天正十七年木舟の城主前田又次郎利秀公今石動へ築城せらるるや、観音寺も同時に当所へ移り、石動城の永久の祈願所となし給い。特に菅公御自画像威徳天神をも祭祀せしめ給いたり、依って今に至るまで法楽を勤修し、法燈いよいよ輝き霊験日々に新たにして、御利益を受くるもの数知れず、観世音菩薩は大慈大悲の故に身を三十三に分ち七難を去りて苦を抜き、七福を生じて福寿海の如く授け給う。殊に御本尊は大悲深重にましまし難病難産のうれいを救い、子孫の長久を守らせ給う。信仰の誠をいたすものは二世の諸願成就せずということなし。
高野山真言宗
越中一国三十三観音霊場 第2番 北陸三十三ヵ所観音霊場 第26番
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