いふりべじんじゃ
愛知県一宮市木曽川町門間字北屋敷3714番地
伊冨利部天神社創建 延喜式(905~927年)神名帳に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている所謂式内社で、当地の豪族伊福部一族が祖神である若都保命を創祀したのが起源である。創建年月は詳らかではない..
伊冨利部天神社創建 延喜式(905~927年)神名帳に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている所謂式内社で、当地の豪族伊福部一族が祖神である若都保命を創祀したのが起源である。創建年月は詳らかではないが、延暦13年(794年)~弘仁元年(810年)のおよそ1200年前に創建されたものと思われる。若都保命は天孫瓊瓊杵命の御子なる天火明命九世の御孫、弟彦命の御弟神に座します。延喜式神祇巻九に葉栗群十座の内伊冨利部神社、本国帳に従三位伊冨利部天神と載録されている。
伊冨利部八幡宮創建 当神社神域は石清水八幡宮の荘園になっていた事から石清水八幡宮創建の貞観元年(859年)から天永元年(1110年)にかけて伊冨利部八幡宮が伊冨利部天神に隣接して創建されたものと思われる。
伊冨利部八幡宮を伊冨利部天神に合祀 数十の末社、神官邸宅等周囲一里に達する神域なりと言伝えられる。後花園天皇の康生元年(1455年)戦禍により両神社はすべてを消失し、天正10年(1582年)3月に黒田城主和田八郎公が八幡宮を再建、同年9月に黒田城主澤井雄重公が天神社を再建、その後万治3年(1660年)に八幡宮を天神社に合祀して現在の伊冨利部神社に至っている次第です。(神社HPより)
若都保命 譽田別命
式内社(小)
本殿 本宮造5.80坪 幣殿 17.15坪 拝殿 10.50坪 社務所 29.50坪 廻廊 9.34坪 宝庫 5.00坪
10月8日
鉄劍残欠古来神宝として伝う。千三百年前のものと鑑定(町文化財)澤井公陣旗(黒田城主) 狛犬一対室町時代作(町文化財)黒田城主一柳監物公着用甲冑(町文化財)親獅子慶長元年前の作(町文化財)金燈籠・鉄製尾州藩徳川義直公寄進、葵紋人釣灯篭