一ノ保社(いちのほしゃ、一之保社)の境内には、「天満宮旧蹟」「安楽寺旧跡」「天満宮御自作神像」などの石標、碑が立つ。かつて、「時鳥(子規、ほととぎす)天満宮」とも呼ばれた。
祭神は、菅原道真(すがわら の みちざね)を祀る。御霊社になる。
北野御供七保社の一つに数えられた。
◆歴史年表 平安時代、901年、菅原道真が太宰府へ権帥として左遷され、その地で亡くなった。その際に、道真に従った供の者たちは、道真没後に帰京した。
905年、道真の供の者たちにより、「右京一条二坊一保八町」(現在地)に、道真自作の木像を祀った。神仏習合の「安楽寺天満宮」(大宰府天満宮の旧称)を建立したという。寺僧がいた。また、道真の霊を筑紫より迎えてこの地に祀ったともいう。
後に、北野天満宮7か所の御供所(ごくしょ、北野御供七保社)の筆頭とされ、「一ノ保社」と呼ばれる。
室町時代、1419年、幕府は、北野神人(きたのじにん)に対して、麹(こうじ)室独占の特権的な地位を認めた。免税、麹を独占製造できる「麹座」形成も許された。
1444年、4月、麹騒動(麹戦争)に際して、社殿は炎上する。
近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、神宮寺の安楽寺は廃寺になる。
1873年、社殿なども北野天満宮内に遷座され、一ノ保社(時鳥天神)が祀られた。この時、近くに祀られていた文子天満宮、老松社も北野に遷された。
その後、再び現在の旧跡地に、有志により社殿が再建される。北野天満宮より当社に分祀された。