かめがもりはちまんじんじゃ
宮城県石巻市相野谷字旧会所脇前43
永保・寛治のころ(1083~1087、平安、後三年の役)源義家奥州下向の折り京都石清水八幡宮の分霊を亀ヶ森頂上に勧請し社殿を造営す。文治5年9月葛西清重源頼朝の奥州征伐に功あり桃生外数郡を与えられた..
永保・寛治のころ(1083~1087、平安、後三年の役)源義家奥州下向の折り京都石清水八幡宮の分霊を亀ヶ森頂上に勧請し社殿を造営す。文治5年9月葛西清重源頼朝の奥州征伐に功あり桃生外数郡を与えられたが本社の社殿に修理を加えたという。(口碑)郷人、今尚亀ヶ森山頂をを占八幡と呼んでいる。社を今の地に移したのは、永禄年中葛西家幕下の今野和泉守であった。元禄8年には藩主綱村が社参して記念植樹をし、又、享保13年に吉村、元文2年には宗村と相ついで参詣している。社地は大立目日向(千石)の寄進にかかる除地であった。 明治6年3月に村社に列する。同44年10月村社稲荷・北野の両社を合祀しこのとき社殿・神輿舎を修造、大正2年から同4年に裏山山林を社有地とし、境内に桜樹を植栽して亀ヶ森西公園を開設する。大正4年2月幣帛供進社に視程。
誉田別尊、倉稲魂神、菅原道真公
村社
三陸道河北ICから車で約10分