えいしょうざんりゅうせんじ
福島県二本松市二伊滝1-81
1320年(元応2年)恵燈律師が行基作の聖観音を得て開山、当初は真言律宗で白光山 瑞祥寺という名の密教寺院であったと伝えられています。当寺は元々浮内(現塩沢)にあり、一世行者の庵室にになっており、1..
1320年(元応2年)恵燈律師が行基作の聖観音を得て開山、当初は真言律宗で白光山 瑞祥寺という名の密教寺院であったと伝えられています。当寺は元々浮内(現塩沢)にあり、一世行者の庵室にになっており、1319年(元応元年)に恵燈律師が京より岩手県 曹洞宗 奥の正法寺に向かう途中、一夜その庵室を仮宿とし、観音様の霊感に打たれ、その有難い因縁に感泣し、庵室を改築移送して白光山 瑞祥寺を建立致しました。しかし、廃寺同然になってしまい、後に加賀金剛寺の祖超禅師の高弟にあたる直心全忠禅師によって再興され、以来曹洞宗に改宗されたといわれております。1460年(寛正元年)当時の二本松城主畠山政泰公(二本松政国公)が直心全忠大和尚を招き、初代・高国、二代・国氏の菩提を弔うため開山したとされています。畠山家は歴代、龍泉寺を祈願寺として崇敬し、1492年(明応元年)4代満泰公は長男満盛の霊を祀り、法名を「龍泉寺殿」と称し、龍泉寺に於いて参禅修養は勿論、殊にその教えを学び、さらには一朝有事の際の兵站基地の役目をなしたといわれています。
永松山
曹洞宗
寛正元年(1460年)
釈迦牟尼佛
直心全忠大和尚
畠山政泰
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