貞観年間、疫病大流行し、人民多数がその災厄に遇う。この村の童子俄かに飛踏すること二丈許り、呼んで言うに「我は是れ素盞嗚尊なり。今疫気天下に流行す宜しく神酒を供え其邪気を救うべし。汝等早く香ある山に尋ね登り滴を飲んで其災を祓うべし」と言い終って悶絶。
村の老若男女喜んで酒を尋ね登ること五町余、谷があって両山の狭い所自然の岩石峩々として高さ丈余、上には松桧が翆を重ね下には流水藍を染め実に神仙の霊窟であってその岩石下に神酒が流出していてこれを飲むと疫気夢の如く熄んだ。そこで「石山大宮」と号して斉しく崇敬した。
長暦2年(1038)、疫気が人を悩まし、後朱雀天皇は当社の霊夢に感じて勅使を遣された。
応永年間(1394~1427)、将軍足利義持が熱病に罹って懊悩すること十余日、当社に祈って滴を嘗めると忽ち平癒。
そこで楽器及び神領を寄進して奉賽。
後に後小松天皇がその事を聞召して、石の華表を建立。その石の華表は今に残存。
元禄13年(1700)、宗源宣旨を以て正一位酒垂大明神と号し、享保12年(1727)、九鬼隆抵が社殿を再建。(兵庫県神社庁 )