ごくらくじ
奈良県御所市極楽寺108
当寺開山一和僧都は、18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、興福寺の座主に迎えられ、更に人皇六十二代村上天皇天暦4年(西暦950)には勅命により維摩会(維摩経の講釈研究会)の講師と..
当寺開山一和僧都は、18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、興福寺の座主に迎えられ、更に人皇六十二代村上天皇天暦4年(西暦950)には勅命により維摩会(維摩経の講釈研究会)の講師となられ、学徳共に秀で、その徳望は広く諸宗に聞えて居りました。 併し上人は名利を厭い、専ら修行修学の為静寂なる地を求めて居られました。 或る時、金剛山の東麓に、毎夜光を放つを遥かに望見せられ、奇異の思いの中にその出所を探し求められました処、そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。生身の仏様のようであったと申します。上人は不思議な事に驚き、これこそ有縁の地と考へられ 仏頭山と呼び発掘の仏頭を本尊として草庵を結び、法眼院と名付けられました。時に天暦5年(西暦951)今を去る壱千余年前の事です。
佛頭山
浄土宗
阿弥陀如来
吐田極楽寺