にのみやじんじゃ
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷306
南北朝時代、井伊家は南朝につき、後醍醐天皇の皇子、宗良親王を支えました。至徳2年(1385年)親王が井伊谷で亡くなったあと、南朝の勅使が下向し、宗良親王の弟の無文禅師を導師として、三宅神社で葬送の儀..
南北朝時代、井伊家は南朝につき、後醍醐天皇の皇子、宗良親王を支えました。至徳2年(1385年)親王が井伊谷で亡くなったあと、南朝の勅使が下向し、宗良親王の弟の無文禅師を導師として、三宅神社で葬送の儀式が行なわれました。その際、宗良親王の尊霊を合祀。二つの神霊を祀るようになったため、『二宮神社』と改称されました。 境内の案内板などには、井桁と橘の紋が。それは、田道間守が第11代乗仁天皇の命により、常世(神)の国から日本に持ってきたとされる、三宅氏の家紋『橘』と、井伊家の旗印である『井桁』を組み合わせたといわれています。