つるぎじんじゃ
神奈川県横浜市青葉区荏田町822
新編武蔵風土記稿は当社について曰く 「村の中央字榎木谷にあり、劔明神と号す当所総鎮守なり本地不動の像、今は別当観福寺に安置せり本社に上屋を設く云々」また伝説に曰く「昔陸奥国より炭を商うもの鎌倉往来..
新編武蔵風土記稿は当社について曰く 「村の中央字榎木谷にあり、劔明神と号す当所総鎮守なり本地不動の像、今は別当観福寺に安置せり本社に上屋を設く云々」また伝説に曰く「昔陸奥国より炭を商うもの鎌倉往来して、鍛冶のもとへかの炭を売ること年久しければ鍛冶も、かの上人が来ることを謝して己が作りたる刀一口を贈れり、商人よろこびてこれを携へ国へかえらんとしてここをすぎ、泉谷の辺りとどまりて、路のつかれをしばしやすめんとここに喉のかれたりしかばありあう泉を掬して呑けるに、酒に酔いしごとく、覚えず倒れ臥したりを側なる松の木の上より大蛇ねらいより呑まんとす時に携えたる刃自ら抜き出て蛇を斬殺しけるにそかのもの危き命をたすかりしとなんよりて劔を祀りて劔明神と号す云々」と この伝説は八俣の大蛇退治に類似し草薙劔を彷彿せしめるととに 祭神を素盞嗚尊として崇めていることなどからして開拓神ないし農業神として祀られ鎌倉時代の創建になるものと云われている かつて当地には宿谷赤城社、小黒谷戸神明社同八幡社柚木谷戸熊野社 渋沢谷戸十二社の五社の谷戸宮が鎮座し 四谷戸が年番にて祭礼を執行うを常とした その後大正三年これら四谷戸五柱を当社に合祀 同十一年当社は神饌幣帛供進社に指定されたのである 現存する拝殿は明治二十七年に 奥社は昭和四十六年に各々建立されたものである。
素盞嗚尊