ながおじんじゃ
広島県山県郡安芸太田町加計3303
建長7年(1255年)、佐々木盛綱の孫 光綱が備前児島より来住の砌、社殿を修復し、その子 泰綱が文永5年(1268年)推されて神主になる 以前より毛利氏の崇敬篤く、十三石四斗八合の神田を付け置かれ..
建長7年(1255年)、佐々木盛綱の孫 光綱が備前児島より来住の砌、社殿を修復し、その子 泰綱が文永5年(1268年)推されて神主になる 以前より毛利氏の崇敬篤く、十三石四斗八合の神田を付け置かれたが福島氏に至り、慶長7年(1602年)悉く没収さる。 天文2年(1533年)再建、慶長元年(1596年)改築。 承応3年(1654年)社殿社家とも炎上焼失。 明暦元年(1655年)再興、厳島より宗像三女神を主神として勧請、地名を冠して長尾大明神を号し相殿神として大年神、水波能売神、大山祇神、埴安神を祀り、明治以後近隣の小社十三社を合祀す。 (社伝による)
春日造
本殿、拝殿、天井画、絵馬、湯立神楽
中国自動車道 加計スマートICから車で10分 中国自動車道 戸河内ICから車で15分
無料
石段前に1台分 境内にも可
有り