はんぞうぼう(けんちょうじない)
神奈川県鎌倉市山ノ内8
明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え..
明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。
このお姿こそ半僧坊の眞姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)にお出向きになりご分身を願われ、明治二十三年五月、建長寺の内で最も景色の勝れた勝上?に安置され、直ちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。
明治二十九年三月八日平塚市の大火災や五月二十四日三浦市三﨑の大火災の折りに僧坊の御身体が身代わりとなって火災を免れたり、関東大震災の時には、ご尊像の捧持してあった金庫が何等の損傷もなかったこと、また最近では、阪神淡路大震災の折、半僧坊火盗除霊札をおまつりしてあった信者さんの家は何事もなく無事であったこと等々、霊験あらたかで家内安全、厄災消除、商運隆昌、安産守護、大漁満足、交通安全、等々、御利益は誠に甚大なものがあります(公式HPより引用) 。
境内の最奥、勝上巘にある。建長寺の鎮守で、半僧坊大権現をまつる。明治23年(1890)建長寺235世霄貫道師が静岡県の奥山方広寺から勧請した。周辺の復興された天狗像に守られ、その偉容は霊験あらたかでお参りやハイキングの人も多い。
✳︎公式HPを追加しました。