江戸時代の元禄5年に政範上人によって創建されたそうです
古くから笠岡の人々は、伯耆国の大神山(大山)を四国の石鎚山と共に霊山として信仰してきたそうです
笠岡に住んでいた橋野與左衛門(後の政範上人)は若い頃から仏門に帰依し伯耆国大神山の大仙智明権現を信仰していたそうです
20歳の時、大病を患いましたが曰頃信仰していた大仙智明権現に祈願して一命を取り留めたそうです
そこで京都大覚寺で出家し政範を名乗り、霊山大神山にお礼参りをし大仙智明権現の御分体を受け笠岡に勧請奉祀して創建したそうです
笠岡では人は死んだ後に御霊は大神山に帰ると考えられ、先祖の霊に会い御霊を弔うために大神山の大仙智明権現に参詣していましたが、伯耆国が遠いために参詣できる人が限られていました
しかし、政範上人が大仙智明権現を勧請したおかげで近郷の多くの人が先祖の供養を笠岡の大仙院にお参りすることで叶えることができるようになったそうです
現在でも家族が亡くなると葬儀を済ませた後、大仙院に参拝する習わしが残っているそうです