つきだのおかのえのみささぎ
奈良県橿原市四条町
陵名は『日本書紀』の記述で、『古事記』では「衝田岡(つきだのおか)」。 中世には荒廃して所在が失われ、元禄の探陵の際に諸説が生じて神武天皇陵とされていたが、 明治11年(1878年)に現陵が綏靖..
陵名は『日本書紀』の記述で、『古事記』では「衝田岡(つきだのおか)」。 中世には荒廃して所在が失われ、元禄の探陵の際に諸説が生じて神武天皇陵とされていたが、 明治11年(1878年)に現陵が綏靖天皇陵に治定された。
綏靖天皇:初代神武天皇の第3皇子で和風諡号は神渟名川耳天皇。 神武天皇76年(BC585年)3月11日に父帝が崩御した際、朝政の経験に長けていた兄の手研耳命は皇位に就くため、弟の神八井耳命と神渟名川耳尊を害そうとする(タギシミミの反逆)。 この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は先に手研耳命を討つが、 その際、神八井耳は手足が震えて矢を放つことができず、代わりに神渟名川耳が射って殺害したという。このことから神武天皇崩御の3年後、神渟名川耳が第2代天皇として52歳?で即位し綏靖天皇となる。 宮は葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)で現在の奈良県御所市森脇周辺と推定されている。 在位は33年、享年84歳で崩御(BC549年)されている。 欠史八代の一人ではあるが、皇位継承争いの記述(タギシミミの反逆)があること等から、実在性を主張する学者もいる。
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