じゅっけんやいなりじんじゃ
広島県広島市南区西霞町24-21
寛文2(1662)年仁保島と比治山が干拓により陸続きとなる。その後、元禄5(1692)年広島藩四代藩主浅野網長候が比治山のお茶屋谷の茶亭を新築され、茶亭から前方に見える山麓附近の眺望を良くするため、..
寛文2(1662)年仁保島と比治山が干拓により陸続きとなる。その後、元禄5(1692)年広島藩四代藩主浅野網長候が比治山のお茶屋谷の茶亭を新築され、茶亭から前方に見える山麓附近の眺望を良くするため、蒲刈島から農家十軒をこの地に移される。これより当地を十軒屋と呼ぶようになる。その後、元禄12(1699)年頃附近一帯の新開地には田畑が広がる。村民は農作物と豊漁を祈ると共に家内の繁栄を願うため宝暦元(1751)年京都の伏見稲荷大社から熊鷹稲荷大明神を勧請されたのである。 現在の稲生神社本殿は明治18(1885)年2月27日に再建され、昭和11(1936)年2月社殿の改築、戦後昭和22(1947)年9月に(昭和20年8月6日の)原子爆弾の爆風により破損した箇所の補修が行われ、昭和62(1987)年3月神社の拝殿が建替えられる。当稲生神社は五穀豊穣を守護する農業神、商売繁盛、家内安全、子孫繁栄、学業成就の神として信仰されている。 ~十軒屋稲生神社の由緒より~
宇気母智神(うけもちのかみ)
宝暦元年(1751年)
二月初午日
広島大学病院南門バス停より徒歩約10分
無料