おおこうどじんじゃ
岐阜県岐阜市江崎3丁目8−118
当社の御祭神は、天照皇大神・家津御子神・熊野夫須美神・速玉男神を奉斎する。美濃国神明帳旧厚見郡18社の内、正六位大河戸明神是なり。里伝に曰く当社は往古水難鎮護の為、祀る処なり、旧社地は往時長良川の西..
当社の御祭神は、天照皇大神・家津御子神・熊野夫須美神・速玉男神を奉斎する。美濃国神明帳旧厚見郡18社の内、正六位大河戸明神是なり。里伝に曰く当社は往古水難鎮護の為、祀る処なり、旧社地は往時長良川の西岸に在りて方県郡河渡村に接し旧字大河戸と称す。長良川流域変換の後川東となり此の地を芦竹と称す。維新前老松一樹存在せり、中昔江崎村を三組に分ちし時、上組・下組には神明神社を祀り中組には熊野社を祀る。明治九戊辰年右3社を字古川の地へ遷座の際、一社に合祀し吉建神社と改む、蓋し吉建の社号は旧社地の字芦建を同訓吉建に換言せり。然るに明治15年1月28日大河戸神社と改称の儀請願す。則県庁之を許可す。旧社地長良川堤外に老松一樹を存し、此の辺荻芦多く繁茂す故に字芦竹と称し吉建に通ず老松は洪水支障の為伐採され芦竹の辺を大河戸と称す。前社地東附近に古川の地名あり昔の長良川の河流なりと言う。大河戸の名は東北より長良川の流を潅ぎ西北からは伊都貫川茲に至りて相会し一大河となる故に大河門と称し大河戸と言うなり。
古くは河渡川の戦い跡(関ヶ原の戦いの前哨戦)の舞台となった鏡島村の鎮守です。
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 家津御子神(けつみこのかみ) 熊野夫須美神(くまのふすみのかみ) 速玉男之神(はやたまのおのかみ)