くつぬぎてんまんじんじゃ
愛媛県松山市久保田町58
菅原道真公が築紫へ下向の際、海が荒れ越智郡桜井の浜に淀泊し、その後陸行して当地に至り、沓を脱いで3年ほど滞在した。頭三位中将が追い立ての官人を連れ都からやって来たので、西方の橋まで出迎え、その後築紫..
菅原道真公が築紫へ下向の際、海が荒れ越智郡桜井の浜に淀泊し、その後陸行して当地に至り、沓を脱いで3年ほど滞在した。頭三位中将が追い立ての官人を連れ都からやって来たので、西方の橋まで出迎え、その後築紫へ向かうこととなった。このことから西方の橋を勅使橋と沓脱と言うようになった。長保元年(999年)二神殿を建立し伊予の守護が尊崇した。永正元年(1504年)には河野通篤が当社に土地を寄進している。江戸時代には松山藩主からも厚く敬われた。
菅原道真公