みほこじんじゃ
宮崎県日向市細島940
神日本磐余彦命は日向より船師を率いて、ご東遷の時、此の島の口(細島港口)にうの鳥が多く群れるをご覧になり、此の島は鳥辺島(とりべしま)かとの詔せになった。これが今の「とべ島」である。これより進んで今..
神日本磐余彦命は日向より船師を率いて、ご東遷の時、此の島の口(細島港口)にうの鳥が多く群れるをご覧になり、此の島は鳥辺島(とりべしま)かとの詔せになった。これが今の「とべ島」である。これより進んで今の枇榔島(びろがしま)辺りにて大鯨の海中に浮沈するをご覧になり、お持ちの鉾を以て、その鯨を突かせ給へばさながら美女に化し、天皇に向かって申し上ぐるに我は此の辺に住める者、今子を生む間、何卒一命を助けたまへと一心に申せば、天皇憐みて是を許し給へば始めの大鯨に化り海中に沈みたり。天皇詔して此の島は美女が島かと号し給へり。暫くして、追風凶くなり後に舟を返して此の島に懸らせ給ふた、その時此の地に釣する海人が小舟を浮かべて急いで返るを呼び止めになり何に故に急ぎ返るかと問わせ給へば海人どもが申すには四時日の半ばより大魚が来るからそれが恐ろしさに返ると申せば天皇曰「それは釣する日が少ない。出漁が自由でないであろう。此の後は此の島辺に来ぬ様に致して置うとて此の鉾を島に納置した故に是を三鉾神として祭るべし」とて以前鯨に突きし鉾を此の島に建てられ此れは鉾島かと詔が有ったので海人どもは大いに悦び有り難い事ぢゃこれは鉾島の鉾神様ぢゃと悦び帰った。此れより海人どもは鉾島鉾島と号へた。後世何にとはなく細の字になしたるものである。昭和九年神武天皇御東遷二千六百年の記念祭が全国に執行せられた時県下七聖地の一つとして顕彰せられ当時全国奉賛会会長故齋藤実子爵の御来町を仰ぎ盛大なる式典が挙行せられたのである。
鉾島神社の境外末社。神武天皇ご東遷の際、この地に鉾を納められたとされる聖地。「細島」の地名の由来にもなっている。
速秋津日子神
神武さま御東遷ゆかりの神社
無料
なし